2018年04月01日

Coffee Break新約聖書通読エッセイ1 マタイの福音書・イエス・キリストの系図





 
 穏やかな日曜日の朝、四月一日のイースターの日に、新約聖書の通読エッセイをスタートできることになりました。
 心から、神様に感謝を申し上げます。






 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。(マタイの福音書1章1節)
 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、(2節)
 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、(3節)
 アラムにアミナタブが生まれ、アミナタブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、(4節)
 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、(5節)
 エッサイにダビデ王が生まれた。(6節a)

 マタイの福音書の冒頭です。内容は、記されているように、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」です。 

 初めて聖書を開いたとき、いきなり目に飛び込んでくるのが、アブラハムからイエス・キリストに至る系図です。
 「福音書と呼ばれるものは四書もあるのに、どうして、系図から始まるマタイの福音書が最初なの」と初めは思いました。系図が文書の最初に来るなんて、誰が見ても難度が高そうです。まして耳慣れないイスラエル人の名前です。今でこそ、聖書の登場人物たちと多少は「親しく」になったさとうですが、最初聖書を見た時に聞いたことのある名前は、アブラハムダビデソロモンくらいでした。そして、なんと! 彼らとイエス・キリストとに深いつながりがあるとさえ、知らなかったのです。

 じっさいの学びは,マタイの福音書を飛ばして、マルコの福音書から入ったのです。それで、先生に質問する機会もないまま、何年かが過ぎていきました。



 旧約聖書を読み終えた今、この系図が、ある「家柄の展示」ではないということがわかります。
 アブラハムは「選びの民イスラエル」の始祖です。孫のヤコブに神様からイスラエルという名が与えられたので、実際のイスラエル民族はここから始まります。ヤコブ(イスラエル)には、二人の妻とその奴隷女から12人の息子が与えられました。彼らがイスラエルの12部族として、のちにカナンに入植するのです。
 アブラハムからダビデまでの系図の中に、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記、列王記の記述が含まれています。

 ダビデにウリヤの妻によってソロモンが生まれ、(6節b)
 ソロモンにレハブアムが生まれ、レハブアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、(7節)
 アサにヨサバテが生まれ、ヨサバテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、(8節)
 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、(9節)
 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、(10節)
 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。(11節)

 ここには、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、それから、預言書がすべてが含まれます。

 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、(12節)
 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、(13節)
 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、(14節)
 エリウデにエリアザルが生まれ、エリアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、(15節)
 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。(16節)

 こうしてみると、キリストの来臨と新しい契約は、唐突なものではなく、旧約時代からの「歴史の流れの中にある」とわかります。
 キリストがおいでになって、「神の救いのご計画」が完結すると、すでに「知識で」教えられています。
 多少「知っているつもりの新約聖書」ですが、知恵と知識のないさとうが、その深い森に入って行こうと願っているのです。ほんとうに体が震えます。
 
 どうか懲りずに訪問してくださって、ご教示、ご批判などいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。                             
                                                    さとうまさこ
 

    


 聖書は、原則として新改訳聖書を使用しています。










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2018年04月03日

Coffee Break新約聖書通読エッセイ3、 マタイの福音書・イエス・キリスト誕生のいきさつ2 東方の博士とヘロデ




 イエス・キリスト誕生のいきさつは、淡々とそっけなく記されています。若い婚約者の間に、「あり得ない問題」が起きているのです。内密に婚約を解消する決心をするまでのヨセフの葛藤は、かなりのものだったでしょう。その葛藤をクリアさせたのは、「主の使いのことば」です。
 文脈としては、納得できるのですが、これは、読者の前に立ちはだかる最初の「つまずきの石」です。あり得ない問題の、あり得ない解決は、「主の使い」という特殊な存在の出現によって可能になる、これは、もう、頭の理解を超えています。
 読者が、文句を言いたくても、「待ってください。質問!」と手を挙げたくても。話は、淡々とイエス・キリスト誕生の、その後に進んでいくのです。



 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
(マタイの福音書2章1節)
 「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは東の方でその方の星を見たので,拝みにまいりました。」(2節)
 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。(3節)

 イエス・キリストの誕生は、ヨセフとマリヤ夫婦だけに秘められた話ではなかったのです。
 マタイの福音書2章では、その証人がいたことが語られています。東方(オリエントのどこかの国)で星の観測をしていた博士たちでした。

 ヘロデ王は、当時のユダヤの王でした。博士たちは、王に拝謁し、イエスについて尋ねたのです。彼らが見た星は、「ユダヤ人の王」を意味していたのでしょう。当然、ヘロデ王の後継ぎだと考えたのかもしれません。しかし、ヘロデには次の王の誕生など、青天の霹靂のニュースだったのです。ヘロデは、王になるため権謀術数の限りを尽くして多くの敵を殺してきた人間でした。純粋のユダヤ人ではなく、イトマヤ人(エドム人)の血を引いていて、ローマ政府の傀儡としてユダヤの王に収まっていたのです。戦々恐々として権力に執着しているヘロデがユダヤ人の王の誕生を恐れたのは当然でした。
同様に、権力者同士の争いが、いつもひどい流血をもたらすことを知っていた民衆も、「王の誕生」のニュースを聞いて恐れたのです。



 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。(4節)
 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。(5節)
  『ユダの地、ベツレヘム。
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから』」(6節)
 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。(7節)
 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。
「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」(8節)

 東方の博士の話も、不思議といえば不思議です。現代の人たちは、星を見て未来を予測するのは、何か、聖書とそぐわないと思うかもしれません。
 ここに、ミカの預言が引用されているのは、特別な意味があるようです。

 新約聖書には、旧約聖書の言葉がたくさん引用されています。
 すでに、マタイの福音書1章にも、イザヤの預言が引用されています。これら旧約聖書の言葉の引用について、別に書きたいと思います。








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2018年04月18日

Coffee Break新約聖書通読エッセイ18、 マタイの福音書4章、イエス、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネを召される





 ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ち退かれた。(マタイの福音書4章12節)

 さて、ときの国王ヘロデは兄弟の妻だったヘロデヤと結婚していました。これは、律法に反することでしたから、バプテスマのヨハネは非難したのです。ヨハネを煙たく思ったヘロデは、ヨハネを拘束したのです。ヨハネから、宣教の舞台で紹介されたイエスは、それを知ると、北のガリラヤへ退避しました。

 そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。(13節)
 これは預言者イザヤを通じて言われた事が、成就するためであった。すなわち、(14節)
   「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、
   ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ、(15節)
   暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、
   死の地と死の陰にすわっていた人々に、
   光が上った。」(16節)
   この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御使い国が近づいたから。」(17節)

イエスは、家族のいるナザレに入った後、ガリラヤ湖畔のカペナウムに行って住み、宣教を開始しました。







 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロの呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。(18節)
 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを人間を取る漁師にしてあげよう。」(19節)
 彼らはすぐに網を捨てて従った。(20節)
 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに船の中で網を打っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。(21節)
 彼らはすぐに舟も父も残して従った。(22節)



  田舎の漁村、湖のほとりで、毎日のように何人もの漁師が網を打って仕事をしているガリラヤ湖畔。この一見牧歌的な風景が、イエスの宣教のスタート地点でした。イエスは、彼らをごらんになり、目を留め、仰せになったのです。「わたしについて来なさい」

 最初は、ペテロと呼ばれるシモンと兄弟のアンデレでした。次が、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネでした。アンデレとヤコブの父ゼベダイは呼ばれませんでした。
 4人の若者は、すぐにイエスの呼びかけに従ったのです。不思議な奇蹟のような場面です。漁師にとって、網や船は「いのちづな」です。当時の世界では、親子のきずなも切っても切れないものでした。ところが、ここで、4人はイエスにいかなる質問もせず、大切なものをその場において、イエスに従うのです。
 それが、神からの召命だと分かったからでしょうか。神からの召命には、そもそもそのような力があったのでしょうか。

 似たような場面を旧約聖書に見ることができます。エリシャの召命です。(T列王記19章19節〜21節)









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